↓こんな記事が、facebookのタイムラインに流れてきました。

Wixも参戦!動き始めた『AIによる自動Webデザイン&コーディング』を可能にするツール達
https://bita.jp/dml/ai_design_tool
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
思わずそ脊髄反射でシェアした内容はこんな感じ↓
友人からの返信には、WEBだけでなくロゴのAI利用や、思わず「ハロワ行く」という若干ネタ的なものもありました(笑)
その後しばらくして、ちょっと冷静な気持ちになって今度はこのブログという形で自分自身の思考を整理したいと思います。

ブラックボックスの前の人々

まずデザイナーという立場を抜きにしてこの流れをみたときに、これは今まで以上にデザインが民主化されるチャンスを持っている気がします。
というのも、これほど巷で「デザイン」という言葉が溢れてても、じゃあ自分のオカンがご飯をつくるみたいに気軽にデザインしている姿が想像できるかといえば、やっぱりちょっと想像できません。
デザイナーという“ブラックボックス”ではなく、自分が見ているモニタの正に眼前でデザインが生成されていく様は、オカンが台所で立って料理している様を目にして育つ子供のような自然さを持つかもしれません(ちょっと無理やり・・・)。
一方ブラックボックスという表現を使いましたが、ただツールを使うだけではやはりデザインそのものは依然としてブラックボックスとして在るだけのような気がします。
つまり、デザインが身近になりつつも、まだデザインに対して客体であるということです。

デザインに対して主体的になる

次にデザイナーという立場からみると、これまたいい流れな気がします。
というのも、先ほど「客体である」と言いましたが、「主体になる」可能性があり、それ故に「◯◯さんに頼む!」みたいな現象が起こってくると思うからです。
どういうことかというと、今まで以上に誰もが自分だけの「デザインの“好き嫌い”“良し悪し”」みたいな尺度を持つようになると思います。
オカンの唐揚げが一番で、ロー◯ンのからあげ君が二番で、といった具合に、「からあげ(≒デザイン)」に対する認識・意識が明確になるということです。
「もう十分好き嫌い持ってるんじゃない? それでデザイナー選んでるんじゃない?」という声が聞こえてきそうですが、僕は少し違う気がします。
具体的には、「好き嫌いはなんとなく分かっているけれど、そこから“より良くしたい” という欲や、“どうすればより良くなるか”のイメージを持っている」人は、一般的にはそんなにいないのではないかということです。
「唐揚げを食べるならオカンの唐揚げで、尚且つ塩をちょっとだけかけると更に美味くなる」ということを、人はまだデザインに対して持っていない気がします。
眼前でデザインが行われることで、人はデザインに対してより口うるさくなり、より批判的に視るようになると思います。
そのとき、AIのデザインでは満足できない(≒違う知能を使いたい)人が、これまでの「(なんだか分からないけど)デザインが必要だから、(とりあえず)デザイナーに頼む」という次元から、「こういうデザインが必要だから、◯◯さんに頼みたい!」みたいな感覚で、“誰もが”デザイナーに頼むようになるのではないでしょうか。
「オレはただ唐揚げを食べたいんじゃない、オカンの唐揚げを食べたいんだ!」というわけです。

まとめ:デザ欲の幕開けと、作家性への回帰

唐揚げというまさに「食」のように、デザインは人間の欲求のレベルとしては今よりも低次(根源的)になりつつも、一人ひとり求める質が全く異なるように先鋭化・多彩化していく(=グルメになる)と思います。

デザ欲の幕開けというわけです。
そのとき「人間のデザイナー」に求められることは、「僕の唐揚げはちょっぴりスパイシーだけどヘルシーさ♪ で、ちょっぴりお酢を足すのがオススメだよ☆」みたいな、ハッキリとした個性ではないでしょうか。
デザインを論理的な行為であると捉える昨今、作家性不要論などもありますが、AIによるデザインが到来する未来には、むしろ回帰していくような気もします。
久々にオカンの唐揚げ食べたくなってきました。。。(;´Д`)